ここに自分の思っていることを書くことで、バランスが取れていた4年前の私。


今の自分もきっとそう。


ここに書くことで、だいぶラクになると思う。




今の私にはすごく大切な人がいます。


生まれて初めて、この人とならずっと一緒にいれるなぁと思えた人。


付き合いだしてから2年、一緒に住みだしてから1年半。


今年の7月24日に入籍する予定でした。





でも、去年の11月にトラック運転手の父が仕事中に交通事故を起こして、会社をやめてから、彼のご両親が結婚に反対しだして。


私は高校を卒業して働き出してからずっと実家に毎月仕送りをしていて、それが今年の4月までという約束だったので、仕送りを終わらせてから、彼と一緒になりたかったし、彼のご両親にもそのことを言ってたのだけど、「お父様がお仕事をやめたのであれば、この先も実家に仕送りをしなくてはいけないのでは?そうであるなら、結婚のことは考え直してほしい」と彼のお母さまに言われてしまった。


正直、父を恨みました。





ヒステリックで酒癖の悪く、職を転々とした父には、幼い頃から沢山殴られた。


今でも、怒鳴られたり、言葉尻のキツい人には、すごくビクビクしてしまう。


きっとそれは父のせい。


経済的な余裕もないのに、無理して自分のエゴで家を建てて、そのせいで兄も姉も私も大学に行かず、高校を出てすぐ働き出し、毎月5万円住宅ローンを払うためにお家にお金を入れることになった。


今まで沢山我慢してきた。


自分の欲しいもの。


大学に行って、親に車を買ってもらって遊んでいる友人たちが羨ましかった。


やっと、10年間の重荷が取れると思っていた矢先に、なんでこうなるんだろう。


やっと、大切な人と一緒になれると思っていたのに、いつまで私は自分の幸せを我慢しなくちゃいけないんだろう。


実家に残ったローンはあと10年。


父の名義だから、父が亡くなれば、もうローンは払わなくて済む。


私は父が死ねばよかったのにと思いました。





お正月に実家に帰省した時、父は別人のように全身が浮腫んで、人相が変わってしまっていた。


変わり果てた父の姿がすごくショックだった。


2日後、病院に行った時には、慢性腎不全でいつ心臓がとまってもおかしくない状態だったとお医者様に言われた。


命は助かったものの、腎臓が悪いため、この先も一生、週2、3回、1回4~5時間かかる人工透析を受けなくいといけない。


もう父は働けない体になってしまった。


それでも母は、「お父さんが生きていてくれるだけでいいんや」と言って涙ぐんでいた。


その時の母の顔を私はずっと忘れられないと思う。


父のことは昔から好きじゃなかったし、自分の親だから大切にしないといけないとは思うけど、正直尊敬できるような人じゃないと思う。


でも母のことは違う。


母のことは大好きだし尊敬している。


私も母のような人になりたい。


母のように、私も自分の子供に愛情を注ぎたい。


今までいっぱい苦労してきたんだから、母には幸せになってほしい。




父は12月に入ってから体調を崩していたらしく、母や姉が「病院に行こう」と言っても、「うるさい!長い間ずっと煙草を吸ってたからや!どうせ医者には直せへん!!」と怒鳴りちらかしていたらしい。


そのせいで悪化させて、結局周りにこんなに迷惑をかけてる。


その話を聞いた時、もう頼むから早く死んでくれと思った。


私は最低だ。




彼のご両親が結婚に反対しだしたことを、原因を作った父には今も言えずにいます。


こないだ、彼と父のお見舞いに行った時、「式はいつするんや。親族だけでする形でいいと思うよ」と言われ、私と彼は何も言えなくなってしまった。


退院してからも、「彼のご両親を招待したいので、2月か3月で都合のいい日を教えてください」というメールが送られてきた。


ああ、どうしたらいいのかわからん。


ツラい…




そうこうしてる最中に、母方の祖母が亡くなった。


父の看病や、家事、仕事でヘトヘトになってるであろう母の糸が、そのことでプッツリ切れてしまうんじゃないだろうか。


母のことが心配になって、仕事を4日間休んで帰省した。


意外と元気そうな母を見て安心した。


「お父さんのことで、結婚のこと、ほんまにごめんなぁ」と母はずっと泣きながら私に謝っていた。




父が悪いんじゃないし、彼のご両親も自分の子供を心配して反対してるんだから、誰も悪くない。


頭ではそうわかっているけど、でもどうしたらいいのかわからない。


彼のご両親は私の国籍のことや病気のことも、100パーセント納得してくれてる訳ではなかったようで、そんな中での父の失業だったから、爆発してしまったんやろうなぁ。




よくよく聞くと、彼のお父さまも3月で退職することになったらしく、経済的に援助してあげられないから、心配なのだと。








結婚ってむずかしいなぁ…


好きな人とずっと一緒にいたいだけなのになぁ。









そんな中での1月31日の大阪ニュル。


彼は田中フミヤのパーティーに。


古くからの友人たちに囲まれて、飲みすぎた私は3年ぶりくらいに泥酔しました。


夜の12時から翌日のお昼の14時までの記憶がありません。


ひどすぎる!!


色々とやらかしていたようで…


うっすーら覚えている記憶だけでも、死にたくなるほどです。


酒癖の悪さは治ったと思っていたのに、心の調子が悪い時に飲むとやっぱり駄目なんだなぁ、私は。


昔の記事の中に、23歳の私が書いていた言葉。





『心と体はやっぱり近い。私が思っているよりずっと。』